安倍晋三元首相が襲撃された事件で、世間でも大きく話題になった旧統一教会(世界平和党統一家庭連合)。
その創始者といわれているのが文鮮明です。(문선명 ムン・ソンミョン)
92歳で生涯を全うし、すでに死去されていますが、文鮮明ってどんな人物なのか、気になる人も多いはず。
今回は、旧統一教会(世界平和党統一家庭連合)の創始者でもある、文鮮明についてご紹介します。
統一教会の創設者文鮮明ってどんな人
引用画像:JIJI.COM
安倍晋三元首相の殺害事件で、政治家や自民党との深いかかわりあるという事で、いま注目されているのが、旧統一教会(世界平和党統一家庭連合)です。
1954年に、統一教会である世界基督教統一神霊協会を創設したのが、文鮮明です。
この時に、自分を「神と同じような存在のメシア」と名乗り、多くの人の信仰の対象として布教活動を始めました。
日本では1950年ごろから布教活動を開始し、資本主義勢力とつながることで、反共産主義を掲げて、日本で広がっていきました。
統一教会では、信者に高額の書籍や壺などを購入させるなどして献金をさせ、昔から社会問題にもなっていました。
信者から集めた多額の献金で、統一教会が成り立っており、
信者は、統一教会に献金をすることで、山上徹也容疑者の家庭のように破産したり、苦しい家計を強いられることもあったようです。
統一教会の「合同結婚式」
統一教会と言ったら小さい頃に見た桜田淳子の合同結婚式ですが
なんと今は専用マッチングアプリ使ってチェンジも可能だそうで… pic.twitter.com/0hJhmecF3c
— chelsea (@chelsea_ncis) July 15, 2022
1960年ごろからは、文鮮明が決めた信者同士を結婚させる、「合同結婚式」を開始。
合同結婚式をすることで、「原罪から逃れられる」と主張し、その結婚式では、一度も会ったこともない相手と、結婚しなければならず、
一般の人からは、多くの反対の意見が上がっていました。
その時に、統一教会の「合同結婚式」で結婚したのが、大人気だった元歌手の桜田淳子さんです。

また、統一教会の信者が、自分の意志で勝手に交際することが禁じられていて、それを破れば「地獄に落ちる」と言われていたようです。
一般の人からは信じられませんが、当時の統一教会の信者の方は、この教えを素直に受け止め、統一教会が決めた結婚をし、家庭を築いていました。
統一教会の創設者文鮮明の生い立ち
文鮮明は、まだ日本の統治下だった1920年2月25日に、朝鮮半島で生まれました。
2012年9月3日に、韓国の入院先の病院で肺炎などの症状により、92歳で死去しました。
1947年には、北朝鮮の勢力下にいましたが、韓国側のスパイだとして逮捕され、投獄・拷問の経験があります。
韓国籍を得た後は、広く宗教活動を始めたようです。
また、文鮮明は19歳の時に、日本に留学の経験もあり、早稲田大学の附属校・早稲田高等工学校電気工学科で工学を学んだ、という記録が残っています。
この頃には、抗日運動(日本の侵略に対する中国の抵抗運動)にも参加したそうです。
統一教会の創設者文鮮明の妻:韓鶴子
引用画像:Twitter
文鮮明の妻である韓鶴子(ハン・ハクチャ)は、現在は教団の“女帝”として信者からあがめられている存在です。
山本朋広衆院議員からは、韓鶴子のことを、「マザームーン」と讃え、統一教会の中で一番重要な存在として崇めていました。
韓鶴子は、1943年1月6日に、文鮮明と同じ朝鮮半島で生まれました。
そんな韓鶴子は、13歳で文鮮明と出会い、17人もの子供を出産しています。
しかし、生まれた子供のうちの5人がすでに亡くなっていて、その死因も謎か多く、暗殺の可能性もあるのでは?との声も上がっています。
2020年には、本部のある韓国の清平で、旧統一教会の重大な式典が開かれ、式典の重要な場面で登場したり、
高さ約4.3メートルにもなる「韓鶴子像」がお披露目されるなど、現在の旧統一教会の総裁として君臨しています。

統一教会の創設者文鮮明【まとめ】
日本や世界各国からは、文鮮明は、高額な献金を信者から取り上げる、カルト宗教団体の指導者などと、批判的な内容を書かれることが多いです。
一方、韓国では、韓国発祥の世界的にも広く知られている宗教団体の創始者として、肯定的な意見も多く上がっているようです。
しかし、今回の安倍晋三元首相の襲撃事件により、旧統一教会の闇が次々と暴露され、
これまでの、文鮮明に対するイメージや評価も変わってくるのではないでしょうか?
信教の自由というものがありますが、あなたが信じている宗教の教えや教祖は、
信者や信者の家族を幸せにしてくれているのか、という事をもう一度考え直すことも大切ですね!